わさびと道祖神の里「安曇野」


とりあえず、謎のビールは外見だけは見た。
それにお腹も一杯で体も温まった。

わさびというのは実にデリケートな植物で、真夏の水温でも15度以下、しかし真冬は13度以上の温度がないと育ちません。
そしてこの辺りが私にとって理解し辛いところですが、水や土壌の栄養価が高いとたちまち枯れてしまう。
普通なら植物には肥料が欠かせないものなのですが、わさびだけは別物のようです。

このわさび畑の名称にも取られている「大王」というのは、大昔、朝廷から差し向けられた当時の征夷大将軍、坂上田村麻呂と激しい死闘を繰り広げた「魏石鬼八面大王」のことです。
当時、全国平定を目指していた大和朝廷は、東北地方の蝦夷を侵攻するにあたり、この安曇野など信州一帯にかなりの酷税を強いたのだと言われています。

その無理難題を押し付けられて、苦しんでいた信濃の国の民を見て立ち上がったのが、「八面大王」でした。

彼は官軍である坂上軍とほぼ互角に戦い、坂上軍を大変困らせたのですが、とうとう敵方の矢に当たって命を落としてしまいました。

この洞窟はその八面大王が最後に立てこもっていた洞窟だと言われており、大王わさび農場の中心近くにあります。
今はこの中には七福神の宝船が祀られ、それに触ると福が舞い込むと言われているんですが・・・・・
実物を見るとやたらに新しいの。
本当に御利益ってあるんですかね?

そしてその近くには、大王の胴体だけが埋められていたという塚が残っていました。
大王と争った坂上田村麻呂は生前の大王の強さを恐れ、大王の遺体をバラバラにしてあちこちに埋めたのだそうですが、地元の人達は八面大王を安曇野を守った守護神として、今現代でも大事に祀っているのだそうです。

わさび農場を出て駐車場の左手へ抜けると、水車小屋が三つ並んで建っています。
その辺りの景色を見回すとご覧の通り。
「万水川」と「蓼川」の合流地点で、ちょうど中州状になっているところの緑がとても鮮やか。
しかし、この景色
どこかで見た記憶はありませんか?

ここはかの黒澤明監督が映画のロケ地として利用した所なんです。

スティーブン・スピルバ ーグが協力をし、ルーカスの ILM社が特殊効果を担当して いた、「夢」というオムニバス形式の第六話で「水車のある村」という映画に登場していたところですが、周りを見るとその映画に出てきた景色がそのまま!!

それはそれは素敵なところなのですが、その感動を写真に撮りきれないヘタッピさを思わず嘆いてしまいました。

ここは、一度は訪れられることをお薦めします。

大王わさび農場を後にすると、早春賦歌碑を目指しました。
地図を見るとその途中に「道祖神公園」というのが見える。
この辺りの道祖神を集めて公園風にしているんだろか?
どんなところだろ?
興味と期待が頭を持ち上げてワクワク!
で・・・・・・・・・・
寄ってみた。

確かに「公園」というのはありましたが・・・・・
と言うか、ここは公園の入り口なのでは?
そう思える程度の広さ。

つまり、車二台程度置くのがやっとというスペースなんですよね。
これにゃあビックリした(苦笑)

そこにあったのが左の道祖神なのですが、昔、NHKが放映していた朝の連続小説で「水色の時」というのがあったのですが、その時に登場した道祖神がこれだそうです。
「水色の時」と言えば、大竹しのぶさんのデビュー作品じゃなかったっけ?
ストーリーはほとんど覚えてないけど、朝ドラが初めて半年シリーズになったのだけが印象に残ってます。

そして歩くこと約10分。
穂高川に掛かった橋を渡ると、そのまま堤防沿いをブラブラと・・・

今日は何故か、頭上には沢山の鳶が舞飛び、お土産入りのビニール袋を持つ手にも、心なしか力が入る(笑)

その数はかなりのもので、少なくとも30羽以上は飛んでました。

しばらくすると、ちょっとしたモニュメントが見えてきます。

「早春賦歌碑」
中田章作曲、そして、吉丸一昌が安曇野の遅い春を詩に書いたものですが、それを記念としてこの穂高川堤防に歌碑が残されています。

「春は名のみの 風の寒さや 谷の鶯 歌は思えど 時にあらずと 声も立てず 時にあらずと 声も立てず」

これ、子供の時に習った曲ですが、今思うと随分難しい詩なんですね。
当時は詩の意味さえ分からずに歌っていたような気がします。
ところで「早春賦」のメロディを覚えてらっしゃいますかね?
私は忘れてました(自爆)

早春賦の碑がある川沿いをどんどんと歩いていくと、所々に大きなわさび田があります。
その中でも特に大きなのが穂高川わさび園、そのわさび田を越えて15分ほど行けば常磐橋という橋に出て、そこから次の目的地まではもう一息。

街の中に入っていくと、ここにも道祖神が・・・・・
安曇野の駅には道祖神マップなるものも置かれていて、安曇野にある道祖神をほとんど網羅してあるのですが、ざっと数えただけでも約60体。
街の広さを考えると、相当な数です。
今度は、その道祖神を皆カメラに納めてみたいと思いました。

道祖神の前を行き過ぎて、踏切を渡ると「碌山美術館」があります。
赤煉瓦にツタが絡まった瀟洒な教会風の建物が木立の中に立っています。

ロダンに師事し、日本の近代彫刻の先覚者と言われながら、弱冠32歳の若さで亡くなった萩原碌山の作品と蔵書、そして絵画がこの本館内に展示されています。

もう少し早い時期にくればきっと素敵な紅葉を見られたのでしょうが、ちょっと私の訪れた次期は寒くなり過ぎていたかも。
赤煉瓦の壁に絡まったツタの葉は全て落ちてしまっていて、ちょっと寂しかったですねぇ。

この本館の他に第1.第2展示棟があり、こちらには生前の碌山と親交を持っていた戸張孤雁、中原悌二郎、高村光太郎の作品が展示されています。
ここまでやって来ると、そろそろ日が落ち始めて私の足下からの影も随分長くなっています。

秋の日暮れは、まさにつるべ落とし。
列車に乗り込んでしばらくするとあっという間に辺りは真っ暗。
途中の乗換駅、松本駅のホームで次の列車を待つ間はとても寒かったです。

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