マレーシアからシンガポールへ
マラッカ編


中国人街のはずれにちょっと細い川があり、橋を渡ってその川を越えるとあたりの景色は一変します。
ごみごみした下町からいきなり超高級住宅街へでも迷い込んだよう。

道の両側には並木が植えられ、煉瓦色に塗られたオシャレな洋館が建ち並んでいます。
ここはオランダ人街と言われ、かつては多くのオランダ人が居住していた区域なんです。
オランダ人街の建物には特徴があり、オランダ人の住んでいた建物やオランダ人達が使っていた公共の建物は全て煉瓦色のような赤い色が塗られています。
その赤い色が、豊富に残された緑とマッチし、街全体がおとぎの国のようにとても美しく、まるで本当にはるばるオランダまでやって来たかのようでした。

その街の高台には、古いカソリック寺院の建物が残されています。
セントポール寺院跡と呼ばれていますが、多分当時はサンパウロ寺院と呼ばれていたのじゃないかしら?
これは遙か昔の大航海時代、日本では戦国時代真っ最中の頃、マレーシアがポルトガルの植民地として支配されていた時代にイエズス会によって建てられた教会です。
今はもう、屋根などは抜け落ちてしまって、かろうじて外壁だけが残された状態ですが、ポルトガルからオランダへと支配者が替わっても長らく使われていたようで、教会の裏手にはオランダ人達の墓地が広がっておりました。

実は、この教会は我々の国、日本にも少し縁のある教会なんです。
教会の正面には、とある人物の像が建てられています。

この像がそうなのですが、像の後ろに回って銘文を読むと、「フランシスコ・ザビエル」と読めました。
このマラッカという街は、日本で布教活動をしたフランシスコ・ザビエルの終焉の地でもあるんです。

セントポール寺院の一隅にはザビエルの墓所があり、その周囲は金網によって守られています。

でも、ザビエルの遺体は残されていません。
何故なら、ザビエルの死後しばらくしてから遺体は細かく分けられ、世界中に散らばっているザビエルに縁のある教会に分けられたからです。
日本の長崎にも、ザビエルの指の部分が贈られたと物の本で読んだことがありますが、その後はどうなったのでしょうねぇ。

墓所を守る金網にはお賽銭のコインを投げ込める穴が数カ所開いていて、その穴からコインを落として、直接墓穴の地面に着けば、また、このマラッカの地を訪れる機会に恵まれるのだそうです。
私とダーリンもさっそくトライしたのですが・・・・・・・・・・・・
ダーリンの落とし込んだコインはめでたく地面に直接落ちたのに、私のコインは草に引っかかってしまってアウト。
もしかして、ダーリン殿は単身赴任でもするつもり?(笑)

マラッカというと、世界の主要航路にもなっているマラッカ海峡でも有名な地名ですが、この地名の着けられた由来は木の名前からなんだそうです。
昔このあたりを支配していたサルタンは、とても狩りがお好きで、暇さえあると家来を引き連れて狩りをしていたそうです。
そして、休息する場所もお気に入りの場所があって、ちょっと高台になって海からの風の心地良い、そして大きな木が日陰を作っていたこの場所が特にお気に入りだったのだそうです。
その木はこの国ではどこにでも見られるポピュラーな木なのですが、この国での植物名は「マラッカ」と呼ばれています。
サルタンは、狩りのためにこのあたりに来ると、決まって「あのマラッカのところで休憩をしよう。」と言われたのでそれがそこの土地の地名になってしまったのだそうです。

その地名の発端となった場所に碑文がマラッカの木と共に残されていましたが、これはセントポール教会のすぐ傍にあります。
その裏手からはマラッカ海峡が一望の下に見ることが出来ました。

夕方でもあり、雨後のために少々もやがかかっていましたが、赤い屋根の建物群の向こうに、タンカーとおぼしき数隻の巨船が行き来しているのがとてもよく分かり、世界に名だたる過密航路という実感がまざまざと湧いてきます。

セントポール教会のある丘を少し下った所に、ポルトガル人の築いたサンチャゴ砦の跡が残されています。

思ったより小さな要塞ですが、この廃墟を見ると、昔、このマラッカという交通の要所を巡って列強の凄まじい攻防があったことを彷彿とさせてくれ、そしてまた、この地が東洋と西洋を結ぶ拠点としていかに重要な地であったかが偲ばれます。

マレーシアは、ポルトガルからオランダ、そしてイギリスと、西洋の列強国によって数百年に渡って入れ替わり立ち替わり支配されてきた国ですが、そのような時代の来る以前から高い文明を持った国でもありました。
特にマラッカ地方には古代からの遺跡が今でもたくさん地中深く眠っており、ちょっとそこらあたりをいじると、色々な物が発見されるのだそうです。

日本の奈良や京都もそうですが、このマラッカも古都特有のジレンマを抱えていて、国の発展と共にこのあたりの再開発をしたいが、大きなビルを建てようとしても整地するだけで色々な遺物が発見されるのだそうです。
当然工期が無期限に遅れてしまうのは目に見えていて、旧市街の再開発はなかなか前に進みません。
そのジレンマを打破するために、掘り返しても遺跡などの出てこない土地を今盛んに作っています。
つまり、海岸線の埋め立て工事です。

上の写真を見られてもおわかりでしょうが、教会の裏から街を見下ろすと、緑のいっぱい見える旧市街のずっと向こうに新しく埋め立てをして開けた所に高層マンションがいっぱい建ち並んでいます。
そして今もなお盛んに沖の方へ向かって埋め立てが続けられているのだそうです。

サンチャゴ砦の前には、世界各国から集まる観光客目当てのトライショウがいっぱい車を停めて客の呼び込みをしていました。
昔は、タクシー代わりに普通に使われていたものですが、今は観光案内を主にされているようで、お客の希望する時間によってコースが決められているようでした。

トライショウは輪タクとも呼ばれその地方ごとに形は微妙に違っています。
マラッカにあったのは、二人がけのシートの着いた車の横に自転車をくっつけた物で、急な雨に備えて後ろには幌も用意されています。
その持ち主ごとに違う飾り付けがされていて、きらきら光るCDの廃品を飾りに使っていたり、日傘に金モールなどが飾られていたり、それぞれかなり個性的で、なおかつかなりけばけばしい。
こんなのに乗るにはちょっと抵抗があるなぁ、なんて思っていると、このトライショウ体験乗車もツアーのプログラムに組み込まれておりました。

いやあ!ほんま!
周囲の注目を浴びるみたいでちょっと恥ずかしい。
前を走るトライショウはちょっと地味目だったけど、我々の乗ったのは、飾り付けがいっぱいだったの(笑)
でも、周りを見渡すと、地味なのは却ってまれで、ゴテゴテと飾られたケバイ方が主流みたい。
それで気を取り直し、輪タクドライブを楽しんできました。
因みに、10分くらい走って貰って10リンギット、日本円で約300円あまり。

マレーシアの市街地を歩くと、ドライバーの交通マナーはかなりひどく、たとえ横断歩道のある所でさえ、半ば命を的にして走って渡らなければならない面もあるのですが、こういった観光地になると、輪タクに乗っている方が一番安全だと言う所もあります。

輪タクに乗っているのは、大抵は外国から来た観光客なので、もし事故を起こすととんでもない高額な損害賠償を請求されることも考えられます。
だから、客を乗せている輪タクに対しては向こうのドライバーもものすごく気を付けるからなんだそうです。
我々を乗せてくださったのは、どちらかというとかなり年配のオジサンでした。
輪タクのドライバー仲間の中でも長老格に属する人みたいで、ちょっとした坂道を登ったりすると、そのあたりで客待ちをしていた別の輪タクのドライバーに後ろを押して貰ったり、客の我々にも声を掛ける人がいたり、短い時間でしたがすごく面白かったです。

さて、マラッカの旧市街観光もほぼ終わり、ホテルへチェックインする前に夕食を摂ろうと言うことになりました。
でも、その前にコンビニに寄るとのこと。

なんで?
まぁ、クアラルンプールと違って夜遊びできそうな所もないし、私たちも夜食のオヤツくらいは欲しくなるかも知れない・・・・・そう思ってついて行ったわけですが、コンビニなんてとんでもない。

外観はちょっとしたスーパーマーケット形式ですが、中に入ると漢方薬とスパイスの専門店。

ムムッ・・・はめられた!

私、ブランド物などはほとんど興味のない部類なので、店員が束になってかかってきても、要らない物は要らないし、そんな物を買える程裕福でもないけど、食い気には弱い方なのよねぇ。
まるで波状攻撃を受けるかのように、入れ替わり立ち替わり寄り添ってくる店員さん達に薦められるままに、そして日本での小売価格も検討しながら・・・・・・・・・・・・・
店を出る時には両手に色々な物をドッサリと提げておりました(自爆)

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