マレーシアからシンガポールへ
シンガポール編


長くてよく揺れた列車の旅のあとは、ナイト・サファリでちょっと興奮し、その疲れが手伝って、シンガポールの第一夜は文字通りの大爆睡。
目が覚めると辺りはとっくに明るくなっていました。
でも、何となく曇りがちっぽい様な・・・・・・・・・・・雨期に入っているせいなのかしら。

この日の朝食は付いていないため、外で何かを調達してこようと言うことになりました。
もう少し住宅街に近ければ、朝一番でもホーカーズ(屋台村)が店開きしていて色々な物がとっても廉価で食べられるのですが、我々の泊まったホテルはあまりに市の中心部近くにあるため、観光客目当てのホーカーズしか見あたりません。
そう言う所は値段も段違いに高いし、夜しか店開きしていないわけで、さて、困った。。。。。。

取り敢えず、ホテルを出てウロウロしてみると、コンビニが開いている。
日本でも馴染みのコンビニですが、売られている物はローカル色豊かで、朝ご飯にしても良さそうな土地の食べ物も色々売られています。
ショーケースに手を伸ばすと、出来上がったばかりなのか、まだほんのり暖かい。
そこでビーフンと、カレーの入ったパイのような物、熱いコーヒーを買うと、店の前にあるテーブル付きのベンチでさっそく朝食。
我々が食事をしていた道ばたのベンチには他にもそのような人達がいて、おぼつかない手つきでコーヒーをかき混ぜながら新聞を読んでいる白人の男性や、テーブルに群がる小鳥を手で払いのけながらパイを食べている人など、人それぞれ。
少なくとも、この国では道ばたのベンチで朝ご飯を食べていても、ごく普通に周りの景色にとけ込んでしまえるようです。

ホテルの近くにあるスコッツ・ロードやオーチャード・ロードでは、並木として植えられたベンジャミンに、まだ11月の半ばになった所だというのに早々とクリスマスの飾り付けがされてあり、すぐに年の瀬がやってきそうで何となくせわしげな感じがします。

朝食を終えて人心地つくと、程なくやってきた迎えの車に乗ってセントーサ島へ遊びに行きました。

セントーサ島へ行くには三通りのルートがあります。
一つはフェリーボートに乗っていく方法、そして、もう一つはケーブルカー(ロープウェー)を利用する方法、最後はゲートウェイ・アヴェニューを通って車で行く方法。
この中で一番ポピュラーで、そして楽しめるのは、やっぱりケーブルカーで周りの景色を見ながら島に渡るのが一番良いみたいです。

この写真はケーブルカーから撮った物ですが、シンガポールの町並みが空と海の青い色に挟まれて、とっても綺麗。
この反対側の窓からは世界有数の石油コンビナート基地があり、遠くの方に見えていても、その規模の大きさには迫力のようなものさえ感じます。


ケーブルカーの駅を出ると、大きな竜がお出迎えしてくれます。

この島にやってきたのは、アンダー・ウォーター・ワールドという大きな水族館へ行きたかったからなのですが、その前にまず、イメージス・オブ・シンガポールという蝋人形館へ案内されました。

この蝋人形館は、ロンドンやニューヨークにあるマダム・タッソーの蝋人形館とは違い、シンガポールの歴史や風俗、またはお祭りなどを、蝋人形を使って精密に再現した、いわば博物館のような所です。

特に歴史のゾーンでは、ラッフルズ卿がこのシンガポールに上陸した時より、シンガポールがイギリス領になったいきさつ、そして、太平洋戦争時下のシンガーポール。
シンガーポールがイギリスから独立した時までを多くの人形や、当時から伝えられている資料などが数カ国語の詳しい解説を添えて展示されています。
ただ、私的に残念に思ったのは、日本がシンガポールを占領している時代の所まで来ると、とても残酷な写真などがいっぱい展示されていたにもかかわらず、日本語による解説が極端に省かれていることでした。

今の時代の子供達もそのようですが、親世代が戦争を体験しているにもかかわらず、我々もこの暗黒の時代には日本軍部が海外の人にいかなる事をしたのか全く教えられていないわけで、今はほとんどが戦後生まれになっている日本人観光客の為にも、日本語による解説を増やして欲しいと思いました。

イメージス・オブ・シンガポールの見学が終わると、いよいよアンダー・ウォーター・ワールド!

ここでの目玉商品?でもあり、私の一番のお気に入りがこれ!
大きな水槽の底につけられたガラス張りのトンネルなんです。

このトンネルはとてもユニークで、通路の左半分が動く歩道になっているんです。
だから、ボーっと立ち止まっていても、渋滞知らずで前に進んでいけるというわけ。
立ち止まっていたい時は歩道から降りればいいわけで、たくさんの人が押し掛けてさえいなければ自分の好きなように楽しめることができます。

周りを見ると、小さな魚たちに混じって大きなエイやサメなどが悠々と泳いでいます。
それらが急にこちらに近づいてくると、かなりの迫力もあったりして、いつまででも過ごしていたい所です。

セントーサ島というと、やっぱりこれでしょうかねぇ。

本家のマーライオンは、シンガポール本島の「マーライオン公園」にありますが、ここにはそれを37メートルもの大きさに拡大した物がシンボルとしてあります。

このマーライオンの正面から100メートルあまりの所にミュージカル・ファウンテンという大きな噴水があって、夜になると吹き上がる噴水にライトが当てられ、それが音楽に合わせて色々な形に姿を変えるのですが、このマーライオンの目から出されるレーザー光線も一役かって幻想的なミュージカルになります。

今でこそ、この島は平和な公園として使われていますが、太平洋戦争の初期の頃は、イギリス軍の前線基地として使われていました。
その頃イギリス軍を統率していたパーシバル中将は、日本軍が太平洋側から攻めてくると思いこみ、シンガポールの南端にあるこのセントーサ島にほとんどの部隊を集結させて、日本軍の来襲に備えたのだそうです。
しかし、日本軍は海からではなく、難所の多いマレー半島を南下してこのシンガポールに攻め込んできたため、盲点をつかれたイギリス軍はたった70日の攻防の後、敢えなく無条件降伏をしてこのシンガポールを含むマレー半島を日本に引き渡す羽目になってしまいました。

その後、再びシンガポールがイギリスの手に渡るまでの4年間、この国の人々は日本軍のために大変な苦難を強いられたのだそうです。

特に中国系の人々は抗日思想を持っていると見なされ、何の罪のない人々が10万人あまりも虐殺されたのだそうです。
戦争は人々を狂気に駆り立て、そしてまた、一番ひどい目に遭うのはいつも弱い立場にいる人ばかり。

人間の歴史が始まってこの方、地球上に戦争が全く絶えたことが無いというのも、悲しいことです。
もうそろそろ、考え直す頃に来ていると言っても良いんじゃないでしょうか?

さて、モノレールで島をほぼ一周し、島の観光が終わりかけた頃に、そろそろお昼ご飯の時間。
久しぶりにフランス料理のレストランで簡単なコースを頂きましたが、こういう物を食べると、急に日本食が恋しくなる。
やっぱり、私も日本人ですねぇ。。。。。

午前中をセントーサ島で過ごし、ホテルに帰ると何だかぐったり。
そろそろ旅の疲れも出てきたのかしらぁ.。o○

荷物を置いて、ベッドメーキングが終わったばかりのベッドに寝そべると、ナニゲにガイドブックのページをペラペラとやっておりました。
そして目に入ったのが、英国式のエステ!
長いこと生きてきたけど、今までエステの経験はゼロ。
だってぇ、日本でやって貰うとものすごーく高いじゃないですか。
でも、やっぱり私も「オンナ」の端くれですからねぇ、憧れも好奇心もてんこ盛りに持ってます。

観光客を相手にしたサービスはこの国でもバカ高いと聞いていたけど、案外安い所もあるみたい。
それも、このホテルの中に!!
と言うことで私の心はキマリッ!(o^-^o) ウヒッ

隣のベッドで大いびきをかいているダーリン殿をたたき起こすと、さっそく共犯者?に仕立て上げてエステサロンへ向かいました。
受付にいたオバサンは、我々が中に入ってくるのを見ると百万ドルの笑みをたたえてくれました。

そりゃそうです。

「金離れのいい日本人」が、それも夫婦連れで来るなんてカモがネギを背負ってやって来るようなもの。
さっそく、どのコースにするかの交渉が始まります。
私の選んだコースは「ボディ・スクラブ」、ようするに皮膚の表面についた老廃物を擦り落として、スッキリ爽やか!になりたかったんですが・・・・・・

そんな簡単にそれだけでは終わらせてくれませんわ、やっぱり(苦笑)
アロマテラピーは薦められる、マッサージは薦められる、フェイシャルエステに足ツボマッサージ・・・等々
おまけに化粧品のコマーシャルまで始まっちゃった。

約30分程の攻防戦の末、軍配は我々「ビンボー・ニッポンジン’s」に挙がり、やっと「ボディ・スクラブ」オンリーと言うことで、約一時間半程掛けて全身をたっぷりマッサージして貰いました。
いやあ、気持ちよかったです。 (^▽^)V

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