第4日目 風土記の丘前日から、宿を出雲から松江に移しておりました。 この日は朝早い目に起きて、300円のモーニングセットをたいらげると、すぐバスで八重垣神社に向かいました。
八重垣神社は、八又のおろちを退治した素戔嗚尊が、おろちから助け出した櫛稲田姫と新婚時代を過ごしたところとされています。 次に向かったのは、神魂神社(かもす)、伊弉諾尊と、伊弉冉尊が祀られています。
ハイキング時に、お弁当でも広げられそうな、ゆったりした広場と、あずまやがあり、出土した埴輪のレプリカが迎えてくれます。 この途中、ちょっと、おもしろいものを見つけました。
ここが、神魂神社、長い石段を上がると、国宝に指定されている本殿があります。 この神社横のバスターミナルから300mほどのところに、八雲立つ風土記の丘があります。 この敷地内に、資料館初め、復元された竪穴式住居、発見された石棺と共に、岡田山古墳群があります。
ぽっかりと石室を覗かせているのが、岡田山1号墳、この奥に、まだ未発掘の岡田山2号墳があります。 で、当然足を早めようとしたのですけど、どうもここで貰った地図の見方がよく分からない、仕方ないから、ガイドブックの地図も引っぱり出したけど、まだ分からない。 とにかく、意宇の杜(おうのもり)目指して先を急ごうとしたわけですが、いつの間にやら、全く方向違いの御崎山古墳の前まで来ていました。
「何でやねん。」などと、一人ぶつくさ言いながら意宇川沿いに歩くと、出雲国庁跡まで出ることができ、ホッとしました。 意宇川 この出雲国庁跡に、隣接して、六所神社があります。 この六所神社というところは、朝廷から出雲の国に使わされた国司が、出雲中の神社に巡拝する代わりに参拝する神社で、沢山の神々が祀られています。そこで、別名は出雲総社と呼ばれています。 やっと、雨が小降りになり、気分も新たに、意宇の杜を目指したわけですが、とちゅう、大草古墳群に立ち寄りました。 この古墳のある一帯が、大草古墳群なのですけど、まだ発掘もされていないらしく、辺りは木で覆われていました。 この小山の中の、道無き道をうろついていたわけですが、不思議なことに、私の感覚でいえば30分ぐらいしかここにいなかったと思っていましたが、山から降りて時計を見ると、なんと2時間半以上も、ここにいたことに・・・ そして、一本の農免道路を北上すると、やっと見つけた「意宇の杜」。
前にある、オレンジ色のものは、私のカバンです。 |
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