第三日目  奥出雲 


慣れない一人旅も、もう三日目ともなると、やたらに度胸が付いてくるものです。
朝早く目が覚めたついでに奥出雲の地図を眺めると、吉田村という地名が目に飛び込んできました。
ガイドブックには、出雲横田と言うところにたたら跡があると書かれていたので、つい前日までは、JRにのって、出雲横田に行くつもりでいたけど、急遽、予定変更。
これが、一人で出歩くときの醍醐味でもあるんですよね。
連れがいないから、文句も言われなくて済む。
しかし、朝の時間をつぶすの大変でした。目が覚めたの、4時半ぐらいですからねぇ。
散歩をしようにも、外は真っ暗、都会の明るい夜に慣れっこになっていた私には、なかなか慣れない暗さです。
何故そんなに早く起きたかというと、寝たのが早かったせいでしょうね。
何しろ、一日目の夜は、ちょっと緊張していたこともあるし、とにかく静かすぎて眠れませんでした。
そして二日目、土地の人に4時間ほどつき合って貰って、あちこち見せて貰ったけど、やはり初対面の人と長時間一緒にいると、神経使います。
まあ、これはお互い様でしょうが。
ここにきてから、夕食を摂るとき、話の種に飲んだ地ビールがやたらおいしかったせいでもあるでしょうねぇ。
ビールは余り飲まない方ですけど、なんとお代わりしちゃいました。
部屋に帰ってきて、シャワーを浴びたら、いきなり酔いが回ってきて、そのままバタンキュー、確か、NHKの夜7時のニュースさえ終わっていませんでした。

とにもかくにも、予定が変わったので、朝7時半にはチェックアウトを済まし、まず出雲市へ出ることにしました。
8時に出雲市について、掛谷行きのバスを捜すと、なんと次のバスが出るのは、11時50分。
ちょっとばかり、焦りました。
大きな荷物は、駅のロッカーに預け、仕方ないからタクシーを利用することに。
駅前のタクシーに乗り込んで、「吉田村」までというと、運転手さん、ニコニコ仕始めました。そりゃそうでしょうねぇ、かなりの長距離ですから。何しろ、広島との県境までタクシーで行こうというお客を捕まえたわけですから、ニンマリするのは当たり前。

タクシーの運転手さん、サービス精神旺盛なのか、それとも元々おしゃべり好きなのか、約1時間半の道のり、ずっとしゃべり続けていました。

 

ここが吉田村の、山内地区。
長屋がほとんどのこの小さな山里に、約十五世帯の人々が住んでおられます。
なぜ「吉田村」にやってきたかというと、ここが「モノノケ姫」の舞台になったところと聞いたからですが、なるほど、宮崎駿さんの描かれた村の景色が、この周りの景色と酷似していました。
この村の上の方に、展示室があるのですけど、ここのお姉さんに、宮崎さんがここへ取材にきたはずだというと、ちょっとばかり顔色を変えておられました。
そのことで私もビックリしたのですけど、実は宮崎駿氏、この吉田村の取材は極秘にしておられたとか。
私の考えで言うと、ものを書くためにモデルを選んだ場合、取材やインタビューは欠かせないと思うんですけどねぇ。
私も、ものを書こうとしているわけですから、だから、こんな遠くまで、タクシー代13.000円も出してやって来たワケなんですけど。
受付のお姉さん相手に、入館の手続きをしていると、待って貰っていたタクシーの運ちゃんがやってきて、
「このお客さん、取材にきたとゆうておられるけん、よっく説明してやってね。」
なんて、私がここにきた目的、ばらしちゃった。
この一言で、ちょっとした騒ぎになってしまいました。
お姉さん、慌ててイスをすすめてくれる、お茶は出る、お菓子は出る、施設長さんが麓の村から息を切らせてやってくる。

でも、お陰で、この山内のたたら衆の末裔の方から、直接身振り手振りを交えた話を色々聞かせていただきました。

この方が、施設長の雨川さん。たたら衆の末裔です。 

隣にある大きな木は、桂の木。
この木に、鉄の神様がお宿りになるそうです。昔は、どこのたたら場でも、この木が植えられていたそう。


菅谷高殿

この建物が、今重要文化財に指定されている、日本で唯一現存している本物のたたらです。
土壁で、ひわだ葺きの建物で、思ったより小さく見えました。

 
これが、昔ながらの溶鉱炉。

中央にあるのが、溶鉱炉、そこから左右に向けて、竹でできた送風管の束があり、その先がたたらに繋がっています。
炉の左右にあるのがたたらですが、かなり昔から、炉に風を送るのに水車を利用していたため、本物のたたら、いわゆるフイゴは、現存していませんでした。

なぜ、現存しているたたらがここだけになったのか、ワケを教えて貰いました。
この写真にある炉や、たたらは、一度鉄を作ると、全て壊してしまうからなんです。
だから、材料を手に入れ、さあ、鉄を作ろうかというと、まず、炉や、たたらから作り始めなければいけない。なぜかというと、鉄を作っているうちに、炉そのものが溶けちゃうからだそうです。つまり、ものすごい熱が発生すると言うことですね。

 

この写真は、高殿の天井付近ですが、かもい辺りの白っぽくなっているところ、これは、粘土を貼り付けてあります。
ここだけでなく、炉の周りにある柱、四方の壁には、全部この様に粘土を厚く塗りつけて、発火を防ぐよう工夫がされています。
そして、屋根、今は固定されて、きれいな檜皮葺きになっていますが、当時、炉の真上だけは、取り外しができるようになっていたそうです。
そうしないと、燃えてしまうんですね。

アニメ映画、「モノノケ姫」では、女性達が番子衆(たたらを踏む人)になっていましたが、これは絶対あり得ないことだそうです。
鉄と、火、そして山の神は女性で、とてもヤキモチ妬きだとか、だから、炉の周りに4本の柱があり、女性はどんな身分の人でも、その柱から中へは入れないのだそうです。
確かに、写真には取り損ねましたが、相撲の土俵のように、炉の周りに太い4本の柱がこの高殿の天井を支えていました。

アニメ映画では、自然破壊も取り上げられていましたが、それもあり得ないことだそうで、山で暮らし、山の恵みを受ける者達の習慣として、たたらで使用する炭を作るため、木を切ったら、必ず苗を植えていたとか。
そして、山の木を全部使いきる前に、たたら衆が全部揃って、山の中を転々とし、たたらの場所を移していったそうです。
そうしないと、木を切りすぎると、山の神の祟りがあると、とても畏れられていたからだそうですが、自然災害を防ぐ、昔の人々の知恵でもあったのかと、そんな風に感じながら、この山里をあとにしました。

   

ずっと、この土地を「モノノケ姫」の舞台として扱ってきましたが、実は、ここは「古事記」に出てくる、素戔嗚尊の八又のおろち退治の伝承地でもあります。
高天が原でワルサをし、下界へ追放された素戔嗚尊が、寂しくなって周りを見渡すと、斐川の上流から箸が流れてきた。
箸の持ち主に会いたさに、その流れをさかのぼって、ここまで来たわけです。
で、ここでお酒を造って、八又のおろちを酔わし、八又のおろちが酔って寝てしまうと同時に退治してしまうわけですが、今でも、すぐ側にお酒を造っているところがあります。
今度は、人間を楽しませるためですが、・・・・・
「出雲誉」聞いたこと、ありませんか?
じゃ、「竹下酒造」・・・ピンと来た人、あるでしょうねぇ。
故竹下元総理の、実家がすぐ側にありました。
吉田村の若い方に、この掛谷のバス停まで送ってもらい、バスが来るまであちこち散策していました。
周りの家の大きさや戸数の割りに、郵便局も、村役場も、警察署も、やたらに立派だと思ったけど、ワケが分かると、ばかばかしい。

掛谷から広島発、出雲行きのバスに乗り込むと、なんとお客は私だけ、約2時間、ずーっと、そんなでした。
これで採算、とれるのでしょうか、ちょっと心配してしまいます。


   

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